2016年02月04日

Episode3 混沌からの出発

〜道教に学ぶ人間学〜
五木寛之・福永光司 共著

 道教の大雑把な輪郭を把むには、イメージから入るのが良いかも知れない。
 何やら祈祷をあげて、おまじないの様な事をして、神がかりしてお告げを垂れる。怪しげで迷信臭いもの。そういったイメージは決して間違いではなく、混沌とした様相が横たわっているのである。
 一つの結論めいた事をさきに述べるとすると、アジア文化の最大の特徴はミックスとコンビネーションである。特徴というよりも本質と言った方が正確であるかも知れない。いくつもの生薬を混ぜ合わせて作る漢方薬がその典型である。
 一方、西方文化の柱となっている宗教は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教である。この三つの宗教は同じ根っこから出た兄弟の宗教であると言える。それでいながら、互いに交わろうとはしない。対立し、おのれの正当性を主張し、他を異端と見なし、それぞれの純粋性を強調します。
 ピュアーであろうとするのが西方文化の特徴であり、本質であると言える。
 道教のイメージを形作る多分に迷信的な要素。それは「巫(ふ)」もしくは「巫術」である。道教の原初的な姿は「巫」が大部分でこれを「鬼道」という。中国大陸に芽生えた土俗的な民間信仰や土着的な習俗を集約して巫の形態にまとめたのが鬼道の道教である。鬼道の道教として一応のまとまりができたのは、紀元前七世紀の頃と思われる。
 「巫」は巫術であり、鬼道であり、シャーマニズムだ。それは@祭祀A祈禱Bまじない(禁呪)C祝詞(のりと)Dおふだ(護符)Eかみがかり(憑依・霊媒)Fお告げ(神託・託宣)の七つを主な内容にしている。これらをもっぱら仕事としたのが原初の道教、鬼道なのである。鬼道といえば、いわゆる「魏志倭人伝」に出てくる邪馬台国の卑弥呼である。日本という国が形成されていくごく初期の段階に原初的な道教の影響が濃厚であった事が歴史書に記録されており、最近までその名残りが民間習俗の中に色濃くあったのだ。
 この事は見逃してはならぬ事である。
 巫術性の強かった鬼道の道教に整合性のある論理によって教義の体系を整える動きが出てきたのは二世紀半ば、後漢の順帝(三世紀)の頃である。道教が一つの思想哲学としての体栽を身につけ、教団としてまとまっていくのである。この時、道教に大きな思想的影響を与えたのが、いわゆる三玄の哲学であり、老子、荘子の「道」の哲学と易経の「神」の哲学でした。道教が老荘哲学を大きくとり込んだのはこの時期である。
 道教が鬼道から神道に変貌し、三張道教として教団の組織を整えていった頃、後漢に曹操という軍事の天才が出現し、三張道教の最後の統率者、張魯と戦って決定的な勝利を収めます。戦いに敗れた張魯は江西の龍虎山に逃げ込み、三張道教は外界の接触を絶たれて、山中の隠道宗教となります。この反体制的な三張道教に代って江南の茅山に新しく皇帝権力と妥協する体制内的な茅山道教が成立する。
 これは仏教や儒教の影響を強く受け、そのエッセンスを採り入れたもので、鬼道から神道に展開した道教が更に新しく展開し「真道の道教」と言われるものになった。そして教義の体系を整え、教団としてのまとまりも出てきたところで、主に仏教側からの厳しい攻撃に晒される事になる。それは道教が不老長寿とか羽化登仙とか自利の個人的な救済だけを問題にして、仏教のように捨身捨命の利他行を説かず、衆生済度の菩薩道を実践しようとしない、と。この批判に対して、道教の側は理論武装を展開し、衆生済度の考え方を採り入れた。衆生済度と同義の「度人(どじん)」や「救苦(きゅうく)」を教典名とする道教教典が大量につくられる事になった。これが「聖道の道教」と言われるものである。これが七〜八世紀、我国の古事記神話が成文化される頃までの道教の歴史であり、鬼道。神道、真道、聖道、この四段階の展開と変貌を経てきている事になる。
 道教の成仏論(成道論)は、様々な経典に説かれていますが、やはり荘士の「知北遊篇」がそれらを代表するのではないか。「道がないところはない。どこにでもある。ケラムシにもある。ひえくさにもある。かわらにもある。くそしょうべんにもある。」といっています。
 インドの仏教「湟槃経」では生きとし生けるもの、即ち意識をもった存在、有情のものに限定されていますが中国にやってくると、意識をもたない無情のものも草木土石にまでその範囲が広げられる。
 仏とは何ぞや、と問われて「麻三斤(まさんきん)」、「乾屎橛(かんしけつ)」と答えるのも「草木園土悉皆成仏」(天台九祖、荊渓湛然「金錍論」と説く中国仏教の成仏論に基づくが、この様な根元基盤をなす思想哲学もまた、道教の宗教哲学に基づくと見ることができる。
 「そもそも道は、時間のない空漠とした虚空から産まれた。その虚空に時間と空間のある宇宙が生まれ、その宇宙に元気が生じ、その元気に境目ができた。済んで輝くものは高くたなびいて天空となり、濁ったものは滞って大地となった。天と地の精気が重なり合って陰陽となり、陰と陽の二気が集まって春夏秋冬の四季を作り、四季をそれぞれの精気が分散して万物となった。これは漢代の劉安という人が作った「淮南子」(天文篇)に出ている世界の成り立ちを口語訳したものです。
 元気が陰陽二気を生じ、陰陽二気が交って和気を生じ、和気が万物を生じたという道教の「老子道徳経」(第四十二章)を踏まえている事は明らかです。そして気が散ずれば死です。この生と死のリンクを巡る気の流れが生命現象なら、なにも急速に回転する事もありません。
 生命現象の中に起こる、ままになるものと、ならぬものとをじっくり味わい尽くすべきです。これが道教の現世肯定、人間肯定の根本であり、「不老長生」という目標になります。
 道教には「導引」という修行法もあります。これと瞑想法とを組み合わせます。気の流れのバランスがとれスムーズになります。これによって精気が満ちてくるというのが道教の修行法の根本的な考え方です。道教には練金術の経典がたくさんあります。この練金術は石から薬を作り出す方法である。陰陽二気が交って和気を生じ、この和気が万物を生じる。この気の流れは活発です。生命現象がほとばしるときです。陰と陽とが交わるといえば、多くの人は男女のセックスを思い浮かべるに違いありません。
 セックスはスムーズな気の流れを象徴するものだ。道教では大変男女のセックスを重要視します。否定もしません。いや、否定も肯定もないのです。陰陽二気の交わりが万物生成の大元なのですから、気の流れのバランスをとり、そのとどこおりも防いでスムーズにするのに大変重要です。これがうまく行けば、不老長生に結びつきます。だから道教には閏房術の経典がたくさんあります。
 道教の哲学的思想的柱になっている老子や荘子を「玄の哲学」という呼び方がある。「玄」は「玄牝(げんびん)」ともいい、両者は同じ事である。「玄」は色でいえばやや赤みがかった黒、ほの暗く、定かではなく、すべての源。衆妙の入り口であり、そこを通って「道」は始まるものだという事である。この様に述べれば具象的なイメージが浮かんでくるはずです。それは女性の性器です。「玄」や「玄牝」は女性の性器のことでもあるのです。そして、こういう言い方をします。「道は万物の母である」(「老子」第一章)
 他の影響をおおらかに受け、異なる要素を大胆に採り入れ際限なくミックスし、コンビネートしていくのがアジアの文化です。道教は儒教や仏教の要素を柔軟に採り入れて展開してきました。
 同様に儒教や仏教も道の影響からまったく無縁ではありません。特に密教系の仏教には道教の影響が濃密です。
 真言密教の経典に「理趣経」と呼ばれている経典があります。これは真言宗でも秘中の秘とされている経典で滅多に読経される事はありません。「理趣経」を読むときは、一般衆生にわからぬように中国語、それも南方中国の呉音で読む程です。
 まぎれもない真言密教の経典なのに、これ程秘密扱いにするのは、そのあたりが中国仏教の腰の引けているところですが「理趣経」がセックスを讃美している内容だからです。「理趣経」ではセックスで味わうエクスタシーは菩薩の境地であると言っているのです。
 そこには陰念と陽気とが交わって和気が生じる。男女のセックスによって生じるエクスタシーこそが和気だと把える訳です。
 道教ではこれもまた気のバランスをとり、流れをスムーズにして不老長生の実現を可能にするものとしてとらえるのです。和気が生じ、そこから万物が生じるという様に、気は一元気から、万物へと流れていきます。
 セックスによって自分の生命が子孫へ受け継がれていくことでもあります。これで個体では限界のある不老長生を永遠に引き伸ばす事ができます。社会のもっとも基礎的な単位を個人でなく「血胍」によって結ばれた「家」におき、一族を重んじ、同族を重視する考え方は、この様な道教の哲学思想が基盤になっているのです。
 中国や朝鮮半島には、一族で結束し、相互に扶助し合って繁栄して行こうとする強い気風があります。その支柱になっているのは「血胍」であり「血統」です。
 この様な気風は長い儒教文化の歴史を持つ国に強いところから、血統を重んじるのは儒教のものと思われています。それは確かにそうですが、その根本にあるのは道教の不老長生の考え方なのです。
 この考え方は当然日本にも入ってきました。「古事記」や「日本書記」は天皇が万世一系であることの証明書として書かれたと言っても過言ではない。それが文化を担う血筋の交代であった可能性は、十分に考えられます。歴史学者からは二王朝が交代した、いや三王朝が交代したといった説が出されています。しかし、天皇万世一系説にとって王権が交代があったかなかったかなどは、中心にくる問題ではないのです。その背景には不老長生を願い、現世を肯定し、人間を肯定するおおらかで伸びやかな道教の考え方があるということ、そういう文化を日本人は「古事記」や「日本書記」の昔、いや、それ以前からもっているという事が最も重要だと思います。
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